毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

能登半島地震というけれど、日本海側大地震だったと思います

元日の大地震で被災した方々にお見舞いを申し上げるとともに、一日も早く日常に戻れることをお祈りします。

 

とんでもない一年の始まりになりました。

お天気も良くまったりしたお正月に突然の地震津波

テレビはすべて特別番組に切り替わり、東日本大震災を嫌でも思い出す能登の映像。

翌日には、被災地域へ飛ぶはずの海保機とJAL機の衝突。

 

日が経つにつれ、各地の様子が報道され被害の大きさが分かるようになってくると、

能登だけでなく、富山県新潟県、あまり報道はされませんが日本海側軒並み被害があったことがわかりました。

私の住んでいるまちも揺れました。

「揺れたね」「大丈夫だった?」いとこや友人と連絡を取り合いながらも、一緒に怖さを共有する人がいないことに一抹のさみしさを感じていました。

幸い被害はほとんどありませんでしたが、数日は安全点検等で施設が閉まるなど、まるでコロナで一斉休業した時のように閑散としていました。

今はもう日常が戻っていますが、蛇口をひねれば水が出る、スイッチを押せば電気がつく、お湯が沸かせる。

そんな生活が当たり前にできることのありがたみをしみじみと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

最悪だ。今になって元夫の夢を見るなんて

ネットの世界では、いろんな言葉が作られていますが、私が最近YouTubeでよく見かけるようになった言葉に、エネ夫(妻)があります。

意味は、妻(夫)の見方をしないで逆に相手を苦しめる敵になった夫(妻)、を指すらしいです。

 

私の味方をしないどころか、私の言い分を聞く機会さえ作ろうとしなかったのだから、広い意味で言えば、私の元夫はエネ夫と言えるのかもしれないなあ。

最もそのきっかけは私が作ったのだから私のせいだけど。

先週の投稿の名前部分をエネ夫に変えようかな、なんて思いながら寝たのが原因じゃないかと思うのですが、今朝の起きがけ、何年ぶりかで夢に彼が出てきました。

 

覚えているのは、どこかで一緒に食事をしていたこと、彼が優しくて笑っていたこと、私を気遣ってくれていたと感じたこと。

夢の中でも、彼のそばにいると気持ちが温かり安心感に包まれていたことは覚えています。

 

だけど具体的なシーンは全然記憶に残っていません。

はっきり覚えているのは、もう一度一緒に暮らしたい、ただし自分の愛する人も一緒に。と彼が言っていると母が私に告げるシーンだけ。

 

目が覚めて、ひとしきり泣いて。

布団の中にいたらいつまでもうじうじ泣き続ける!と気持ちを切り替えて、布団から飛び出しました。

今年最後の日なのに、最悪な気分でのスタートでした。

最近、ストレスを感じることもほぼなく、楽に過ごしていたから、そのつけが最後にガツンと来た感じです。

 

ただ一日が終わり、また新たな一日が始まるだけとはいえ、1年の最後の日。

一応の区切りとして掃除、買い出し、やることやって気持ちを切り替えて、心穏やかに明日を迎えられるようにちょっと頑張ろうと思います。

 

今年一年、私のブログを読んでくださったみなさま、ありがとうございます。

どうぞ、よい年をお迎えくださいますように。

来年もつれづれなるままに、ブログを更新していきます。よろしくお願いします。

2023年を振り返る

今年もあと1週間。

と言っても、私にとっては「明日」が「今日」に変わるだけですが。

 

ざっくりと一年を振り返ってみれば、今年の冬はトイレがあふれたり給湯器が壊れたり。母の負の遺産に振り回されたことが思い出されます。

トイレからあふれた下水の掃除で、2カ月ほど咳が止まらなくなったときには、悪い病気だったらどうしようと不安になりました。

 

それから一年で相当視力が落ちました。

秋には転んで両膝血まみれ、腫れがひくまで結構長いことかかりましたけど、幸い大きな病気はしなかったから良しとしよう。

 

今年も3月の西日本の弾丸旅行をスタートにいろんなところへ行きました。

行ったところがテレビに映ると、記憶がよみがえるのかリアルにその場所をイメージできるのですね。写真やテレビなどで平面的に見ていた景色が、旅行後はその場が立体的に思い浮かびました。

現地に行くことって大事なことだと再認識できたかもしれません。

それに、旅行先で「楽しい」と感じている自分を発見したのは大きな驚きでした。ようやく「楽しい」という感覚を思い出せた気がします。

 

元夫を思い出して泣くこともずいぶん少なくなりました。

泣く時間もずいぶん短くなった気がします。

ご飯作りながら、食べながら、「身の程知らずにも〇さんの妻になりたいなんて大それた夢を見た私が悪い。〇さんにも〇さんの家族にも迷惑をかけて申し訳ありません」という思いが自然とわいてくるのは相変わらずですが。

 

とりあえず、自分のことだけを考えればいい生活が、こんなにも楽なことだとしみじみ実感した1年だったということにしましょう。

 

外にはまだ雪が残っています。これから年末にかけてどんどん暖かくなるらしいけど、来年も心穏やかに過ごせればいいなあと思います。

母と姉、久しぶりに心がざわついた

いとこが帰省した時、話の中で「今年の姉からの年賀状に“母を引き取りました”と書いてあった」と聞きました。

それだけを知らされた人は、姉を「親孝行ないい娘」と受け止めるのだろうなと感じました。

去年、私が母の引っ越したことを人に話した際も、事情を知らない人はいいお姉さんねと口をそろえて言いましたから。

 

姉の話題が出たことで、去年母の引っ越し後に偶然姉と会った時にぶつけられた言葉を思い出しました。

「母を引き取ったことを知った昔からの知り合いから、今でもあんたは性格が悪いままかと聞いてきたよ」と嬉々として言われました。

悪意を持って接してくる人にいい顔なんかできるはずがないと言い返しても無駄。

 

母が言った言葉が事実ではないことを私がどれだけ否定しても、いつも周りの人は母の言葉の方を信じる。誰も私を信じてくれないと訴えても、

「あんたの言葉を誰も信じないのは、あんたが信用されていないからよ」と言い放ったし。

 

高校の合格祝いに50万円のステレオセットを買って貰った姉。

それを当然と思っている姉に、私の合格祝いを知っているかと尋ねれば「知らない」と言う。

「知らないはずよ。もらってないもの」と私が言うと、一瞬の間のあと、「長女と次女の違いでしょ。お金なかったんじゃない」ですまされました。

もう何を言っても私の気持ちをわかってもらうことは、無理だと思いました。

 

母と姉にとって悪いのはすべて私なのですから。

きっと姉に向かって母はこういっているのでしょう。

「あの女は私を捨てた。もう親でもなければ子でもない」と。

 

姉にも姉の不満があることは十分わかります。

幼い頃体の弱かった私に母はかかりきりだったらしいし、実際、幼いころの姉を育てたのは祖母だったし。

けれど、祖母が姉だけをかわいがっていたから母は私を構うしかなかっただけじゃないかと私は思っている。

そもそも幼子が二人いて、一人が病弱で一年の半分は入院生活。

だけどそれが残りの半分を実家で過ごす理由になるのだろうか。

私のためだったという話を何の疑問も覚えずにいたけれど、6歳に満たない姉を1年のうち9カ月も祖母に預けていたことになるのです。

何かほかに理由があったのではないかと疑ってしまいます。

そうでないと母の行動はちょっとおかしいのではないでしょうか。

 

「お母さんはあんただけをかわいがっていた。お父さんが死んだときこれで(姉は)家族ののけ者になると思った」と姉が言うのも、ずっと私に敵意を持っていたのも理解できるのです。

姉も母の愛情が欲しかったけど、得られないと気づいた時点でさっさと見切りをつけたのも。

ただ、姉がそうやって自立したからこそ、私への縛りがきつくなったことは否めない。二人とも母の犠牲になったと思うのは間違いでしょうか。

一条ゆかりのエッセイに思うこと

書店をぶらついていたら、一条ゆかりさんの名前を思わぬところで見つけました。

インパクトのあるタイトルに思わず手が伸びました。

『不倫、それは峠の茶屋に似ている』

 

一条ゆかりと言えば、私がマンガを読み始めた頃にはもう、第一線で活躍されていた漫画家さんです。

こいきな奴ら」とか「有閑俱楽部」のようなコミカルなものと「砂の城」「デザイナー」「プライド」みたいな女のドロドロした心情を描いたシリアスもの、どれも面白くて夢中になって読んでいました。

 

見つけたエッセイをパラパラ読んで知りましたが、漫画家は卒業されたそうです。

そういえばいつの間にか、コミック棚で一条作品を見なくなっていたことに思い至りました。

 

エッセイの中にちょこっとだけ、「その後の有閑俱楽部」なんてマンガがありました。たった6pなのにすごい充足感。しかも絵が全然変わっていない。相変わらず美しい。

 

こういうことを言うのは失礼だと思うのですが、50年前に第一線で活躍されていた方で今も現役で書いている漫画家さんの中には、素人目にも絵がずいぶん下手になっていて残念な方もいるので、一条ゆかりさんの変わらぬクオリティの高さにうれしくなりました。

 

中身は、金言集で確かになるほど真理だと思えることばかり。秀逸な言葉がコメントとともに収録されているのですが、正直私にはポジティブ過ぎました。

「人生や仕事のパートナーをどう選ぶかで、生きる幅が広くもなるし、狭くもなる」

じゃあ、選んだ人を取りあげられた人はどうすればよかったんだろう。

選択の余地がないと思い込まされてたら、人生狭くなるの当然だということか。

と、どのページ読んでも、ネガティブな感情が湧き出てしまいました。

 

人生、自分で自由に道を選べて成功した人は、やっぱりポジティブ思考なのだと再認識。

いいこと書いてあるけれど、共感はできないことに気づいてしまいました。

それでも一条ゆかりさんのポジティブ思考に惹かれます。

 

今日は久しぶりに『こいきな奴ら』か『有閑俱楽部』を読んで過ごそうと思います。

魔夜峰央原画展とKADOKAWAミュージアムへ行ってきました

映画「翔んで埼玉2」の上映に合わせて、さいたま市漫画会館で魔夜峰央原画展が開催されていると知って、ちょっと出かけてきました。

ついでに、ずっと行きたかったKADOKAWAミュージアムにも行ってきました。

 

大宮から電車2駅、徒歩5分。閑静な住宅街の中に漫画会館はありました。

意外に小さくて、展示会場は2室のみ。

大きなパタリロ像以外は当然ながら撮影禁止でしたが、どっかのおじさんが構わず写真撮りまくっていて、シャッター音がずっと聞こえていました。

パタリロ

魔夜先生の原画はとても綺麗でした。なんとすべて手書き。パソコンを使っていないという意味ではなく、スクリーントーン(模様などを印刷したもの)を使わず全部書いてあるのです。それなのに、ホワイト(修正インク)のあとがない、というすごさ。

モノクロページでこんなに綺麗な原画をまとまって見たのは、初めてかもしれません。

そして、バックの黒が引き込まれるくらい濃淡のない黒で、変ないい方ですが光っていました。一枚一枚じっくり見て回りました。

会場には魔夜先生の作品が並べられていて、何人か読むのに熱中していました。

見学後は、私もその一人になり2時間くらい読んでました。満足満足。

 

翌日はKADOKAWAへ。

大宮から東所沢まで1時間くらいかかると思っていたのに、意外に早くついてしまって開館時間まで周りをふらふらしながら時間を潰していたら、14日から「翔んで埼玉2」展示会のポスターが。ここでも開催されることを知らずに旅程を組んでちょっと後悔しました。

シクシク思いながらも、気を取り直して開館時間まで列の先頭で待ちようやく10時、予約していたので真っ先に入館できました。

1階の「ツタンカーメンの青春展」を見た後、5階から順番に見学しました。

本棚劇場の一部

テレビでよく見る本棚劇場は本当に四方すべてが本棚。

そこからまだ別の通路にも続いていました。

なのにどうしてでしょう。東洋文庫ミュージアムのように「神が与えし地上の楽園」とは思えなのです。メスティオノーラ(本好きの下剋上に出てくる知識の女神)に感謝、という気分になりませんでした。

 

ともかくも、いろいろなテーマで集められている本棚をじっくり見て廻りました。

その後、ラノベ・マンガコーナーで少し立ち読みをと思っていたのですが、転生ものの漫画が多く読みたいものがなかったため、予定より少し早い時間でしたが、大宮に戻りました。

大宮駅に「翔んで埼玉」のポスターがあると聞いていたのですが、残念ながら見つけることができずそのまま帰途につきました。

稗粒腫を取りました

数年来、顔の白にきびみたいなものができて気になっていました。

どんどん増えている気もしていましたが、コロナでマスク生活が当たり前になったおかげで、人に顔を見られることも少なく、まあいいかと思いながらも洗顔とかスキンケアに気を付けても、全然減らないどころかどんどん増えた気がしていました。

増えれば増えるほど、気にはなるけどとりあえず放置していました。

 

しかもずっと白にきびだと思っていたのですが、どうも稗粒腫というものらしく、時々皮膚を破ってアラザンとか仁丹みたいな粒がぽろっと出てくるところがニキビと違うところです。

ネット情報では、病気ではなく予防法はないけど、放置しても問題はなく見た目だけの問題とのこと。

ただし、手術で取ると1粒5,000円とか、30個まで21,000円とか処置代も半端ない金額が書かれていたので、ほっとくしかないかと思っていました。

 

しかしコロナも5類に変更され、マスク強要も終わったし、顔をさらすことになってからは見た目悪いしどうしようと思っていたところに、この夏とある人からかけられた言葉が

「まあ、すごい汗!」

顔の稗粒腫を汗と間違われてしまいました。

 

さすがにこれはやばいかなあと思い、アトピーの薬をもらうついでに皮膚科で聞いてみると、保険適用で除去できるとのこと。

針でついてピンセットで取るだけだそうなので、早速お願いしました。

針でついた時に、ちくっとする程度で注射に比べれば、全然痛みもなく初日は10個ほど除去。

取っている時にいたっと思っても瞬間で、処置時間も10分程度。

1回の治療費、10個未満の除去で440円でした。。。

顔に小さなばんそうこうがいくつも貼られていたので、マスクで顔半分隠して帰りました。

 

翌朝、顔を洗った時にはちょっとしみましたが、3日目にはどこをとったかわからないくらいきれいになりました。

こんなに簡単に取れるなら、もっと早く頼めばよかった。

 

二度目からは先生も慣れてきたのか多めに取ってくれました。10個以上の除去でも670円でした。

ネットで書かれていた金額とあまりに違うことにびっくりでした。

きっと皮膚科ではあまりに簡単な処置なので、ネットにあげる人がいなかったんでしょうね。

 

いっぺんに全部取るのは無理とのことで、週1で皮膚科通いをしました。

目の周りはさすがに痛かったですが、結局100個以上取ってもらってだいぶ目立たなくなったと思います。かかった費用は5,000円程度。

時間はかかりましたが、お財布に優しく除去できました。