毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母と姉、久しぶりに心がざわついた

いとこが帰省した時、話の中で「今年の姉からの年賀状に“母を引き取りました”と書いてあった」と聞きました。

それだけを知らされた人は、姉を「親孝行ないい娘」と受け止めるのだろうなと感じました。

去年、私が母の引っ越したことを人に話した際も、事情を知らない人はいいお姉さんねと口をそろえて言いましたから。

 

姉の話題が出たことで、去年母の引っ越し後に偶然姉と会った時にぶつけられた言葉を思い出しました。

「母を引き取ったことを知った昔からの知り合いから、今でもあんたは性格が悪いままかと聞いてきたよ」と嬉々として言われました。

悪意を持って接してくる人にいい顔なんかできるはずがないと言い返しても無駄。

 

母が言った言葉が事実ではないことを私がどれだけ否定しても、いつも周りの人は母の言葉の方を信じる。誰も私を信じてくれないと訴えても、

「あんたの言葉を誰も信じないのは、あんたが信用されていないからよ」と言い放ったし。

 

高校の合格祝いに50万円のステレオセットを買って貰った姉。

それを当然と思っている姉に、私の合格祝いを知っているかと尋ねれば「知らない」と言う。

「知らないはずよ。もらってないもの」と私が言うと、一瞬の間のあと、「長女と次女の違いでしょ。お金なかったんじゃない」ですまされました。

もう何を言っても私の気持ちをわかってもらうことは、無理だと思いました。

 

母と姉にとって悪いのはすべて私なのですから。

きっと姉に向かって母はこういっているのでしょう。

「あの女は私を捨てた。もう親でもなければ子でもない」と。

 

姉にも姉の不満があることは十分わかります。

幼い頃体の弱かった私に母はかかりきりだったらしいし、実際、幼いころの姉を育てたのは祖母だったし。

けれど、祖母が姉だけをかわいがっていたから母は私を構うしかなかっただけじゃないかと私は思っている。

そもそも幼子が二人いて、一人が病弱で一年の半分は入院生活。

だけどそれが残りの半分を実家で過ごす理由になるのだろうか。

私のためだったという話を何の疑問も覚えずにいたけれど、6歳に満たない姉を1年のうち9カ月も祖母に預けていたことになるのです。

何かほかに理由があったのではないかと疑ってしまいます。

そうでないと母の行動はちょっとおかしいのではないでしょうか。

 

「お母さんはあんただけをかわいがっていた。お父さんが死んだときこれで(姉は)家族ののけ者になると思った」と姉が言うのも、ずっと私に敵意を持っていたのも理解できるのです。

姉も母の愛情が欲しかったけど、得られないと気づいた時点でさっさと見切りをつけたのも。

ただ、姉がそうやって自立したからこそ、私への縛りがきつくなったことは否めない。二人とも母の犠牲になったと思うのは間違いでしょうか。