毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

能登半島地震というけれど、日本海側大地震だったと思います

元日の大地震で被災した方々にお見舞いを申し上げるとともに、一日も早く日常に戻れることをお祈りします。

 

とんでもない一年の始まりになりました。

お天気も良くまったりしたお正月に突然の地震津波

テレビはすべて特別番組に切り替わり、東日本大震災を嫌でも思い出す能登の映像。

翌日には、被災地域へ飛ぶはずの海保機とJAL機の衝突。

 

日が経つにつれ、各地の様子が報道され被害の大きさが分かるようになってくると、

能登だけでなく、富山県新潟県、あまり報道はされませんが日本海側軒並み被害があったことがわかりました。

私の住んでいるまちも揺れました。

「揺れたね」「大丈夫だった?」いとこや友人と連絡を取り合いながらも、一緒に怖さを共有する人がいないことに一抹のさみしさを感じていました。

幸い被害はほとんどありませんでしたが、数日は安全点検等で施設が閉まるなど、まるでコロナで一斉休業した時のように閑散としていました。

今はもう日常が戻っていますが、蛇口をひねれば水が出る、スイッチを押せば電気がつく、お湯が沸かせる。

そんな生活が当たり前にできることのありがたみをしみじみと感じています。