毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

ようやく入居者が決まりました

一昨年、母が家を出て行ってから不用品の処分やら、水回りの処理とか後始末が山のようにあって途方に暮れ、やることがいっぱいあって精神的にも肉体的にも金銭的にも、負担がのしかかってきました。

 

その後も空気の入れ替えをするため、家に足を入れるたび母の生活臭を感じて押しつぶされそうでした。

1年が過ぎた頃家の痛みを感じるようになり、不動産屋に賃貸を相談して半年以上かかりましたが、ようやく貸借人が見つかりました。

給湯器買ったり警報器買ったり、最終チェックで蛍光灯が切れているのが見つかったり。

準備はそれなりにバタバタしましたが、これでなんとか母の形跡をすべて消し去ってくれればいいなと思っています。