毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

私はまだ、母の手の内にいるのでしょうか

一人暮らしを始めてから、月に2~3度郵便物を取りに家に戻っていました。

住んでいた部屋の窓を開け、空気を入れ替え、郵便物の仕分け。

DM類は捨て、必要なものはマンションに持ち帰る。

そんな生活を始めて間もない頃、母と通っていたお寺から届いたある申請書がテーブルに置かれていました。

必要事項を記入し、費用を添えて置き、そのまま帰りました。

申請書が通れば届くはずの書類は来ず、申請しなかったなら不要のはずのお金は戻ってこなかったから、母が申請書を出したかどうかはいまだにわかりません。

 

地元のお寺で、「もう来なくていい。そんな話(母のこと)をさせても困る。精神科へ行け」と言われてから、そこには一度も行っていません。

しばらくは東京に行った際、本部に足を運んでいましたが「親に感謝」と言われるたび、私の苦しみをわかってもらえないのが辛くて足が遠のきました。

 

先日、突然2021年度の登録書が置いてありました。

去年も一昨年ももしかしたらその前年ももらっていないのになぜ今更?

急にこんなものを置いた母の真意は分かりません。

ただ、目にした瞬間、母の存在を強く感じ、同時にこめかみが締め付けられているような痛みを感じました。

ようやく少しずつ心の平穏を得られるようになってきたと思っていただけに、きつかったです。

胸の痛みが頭痛に重なり、完全にノックアウトされました。

やはり、完全に母の手の届かないところまで逃げなくてはいけないのかもしれません。

明るい話題で1年を終わりたかったのに、暗い話になってしまいました。