毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母が家を出ていきました

この夏、母が家を出ました。これからは姉、姪と暮らすそうです。

 

突然、1週間後に姉と暮らすために引っ越すこと、電気、電話等を契約解除してほしいと指示するメモが1枚、置いてありました。

同時に姉からは、引き取ることを書いた手紙がありました。

「順子さんへ 連絡がつかないから手紙を書きました」と。

 

姉が私を「さん」付けしたことに、軽いショックを覚えました。

姉が私をすでに妹とみなしていないと感じました。

 

各業者に慌てて解約手続きの連絡をすると、電気会社からはすでに手続きが終わっていることを知らされ、どっと疲れがでました。

 

引っ越しの際、久しぶりに会った母に、私がどれだけ母にお金を渡していたか、母が自分の通帳に入れたお金を、姉に譲るのをどんなに酷いと思っているかを言っても無駄。

ああだ、こうだとごまかして、逆にいつまで昔のことをグダグダ言っていると私を非難し、最後は昔のことは覚えていないと言い放って会話終了。

そばでじっと聞いていた姪の冷たい視線が痛かったです。