毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

神棚と仏壇がなくなった家は、私が家を潰すことを象徴していた

母が家を出た後の始末をどうしようかと思いながらも、面倒なものばかり置いていったため、このまま放置して私の終活時にまとめて片付けようかと迷っていました。

年末が近づき、母の痕跡をきれいさっぱり消す方が、今後管理するときに平穏な気分でいられるような気がして、ようやく重い腰を上げました。

 

ダイニングテーブル、椅子、金庫‥

私には片付けようのないものでしたが、業者さんは小一時間ほどですべてを片付けてくれました。

神棚は地元の神社へお祓いと処分を依頼しました。

業者さんが神棚から降ろしてくれたのですが、段ボールに入れようとしたら重い‥

神様がお怒りされている分だけ重さが増したのかしら、と申し訳ありませんと心の中で言いながらなんとか段ボールに入れることはできましたが、玄関までもつらい。

この状態で運ぶなんて私の力では無理。

神社は歩いて5分くらいのところですが、タクシーを使って神社へ行きました。

幸い、運転手さんがいい方で社務所まで運んでくださいました。

恙なくお祓いを終えた時は、一仕事終えた気分でした。

 

その後家に戻り、がらんとした神棚、仏壇、掛け軸がなくなった仏間を改めて見つめると、なんだか私の代で家がなくなることを象徴しているように思えました。

神棚が置いてあったところ さみしい気分になりました

マンションに神棚を置くところがなくても何の違和感もなかったのに、家だと複雑な気分になりました。

 

母の生活のため、夫の幸せのため、と自分の人生、夢をあきらめることを仕方がないと受け入れたのは自分なのですから、今さら嘆いても人生の方向は変わらないのです。

みなさまは、自分の人生は自分で行き先を決められる環境を勝ち取ってくださいませ。