毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

姉の言い分

買い物先で偶然姉に会いました。

 

半年ぶりに買い物に行った店で、店から出た瞬間、知り合いにあう確率はどのくらいなのでしょうか。

ほんの1分、いいえ10秒、どちらかが早いか遅いかしていたら顔を合わすことなどないはずです。

運命のいたずらか神仏の導きか。

 

「お久しぶり」会いたくなかった、という気持ちが前面に出て、そそくさと通り過ぎようとした私。

「ほかに言うことはないの」とけんか腰の姉。

開き直って「何を言えばいいの?」と私が尋ねると

「その言い方は何」と、家を建てたこと、母の引っ越しがいかに大変だったかを言い募りました。

私が引っ越し後がどれだけひどい状態だったかを訴えても、「順子が買ったものだから残すと母が言ったから、置いていった」と姉は言いました。

 

母の嘘です。

私が買ったものでも母が必要としたものはなくなっているし、見たこともない食器、父が買った金庫。不用品やごみを置いていかれて片づけが大変なのだと訴えました。

姉は、「じゃあ洗濯機とかあんたが買ったもの全部残していけばよかったの」と取り合ってくれませんでした。

 

姉は母と一緒に暮らしはじめて、多少私が母と暮らすしんどさをわかってくれたみたいですが私を責めることはやめませんでした。

相変わらず、言いたいことがあれば言えばいい、言わなかった私が悪いと私を責めます。

子どもの時から言いたいことを自由に言えた姉には、”ヒトには言いたいことを言えない時がある”ということをどれだけ言葉を尽くしても、理解できないのかもしれません。

姉曰く、連絡先を残さなかったのは、母から「もう私と縁を切れ」と言われたからだそうです。

姉も新居の住所は言いませんでした。

 

最後に姪が組んだローンの支払いは、姉が払っているという話が聞け、姪が私のようにローンという鎖につながれていないことに少しだけほっとしました。