毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母の行動に思うこと

家を出てからも、万一母に介護が必要になった時、本当に姉が面倒を見てくれるのか、今までと同じように口だけだったら、どうすればいいのかとずっと不安でした。

 

私がもう母と暮らすのは無理、と姉に頼んでから7年。ようやく姉が母と暮らすこと際、母はもう二度と家に戻る気がないらしく、家の鍵を置いていきました。

引っ越し先の住所も電話番号も残していきませんでした。

 

それに気づいた時、夫が家を出て行ったときのことを思い出しました。

 

私が仕事に行っている間に、家を出ていった人。引っ越し先の住所も電話番号も残してはくれませんでした。(当時は固定電話しかないので引っ越せば電話番号が変わった)

 

私の方から家族とのつながりを絶ち、逃げ出したことを考えれば勝手な言い草ですが、母から同じことをされて、結構傷ついています。一抹のさみしさを感じています。

 

母の行動は、自分の利にならない娘は必要ないとずっと示し続けた母らしいとも思うのですが、感情が追いつきません。

 

最後まで母は自分がどれだけ娘を追い詰め、無理を強いてきたか理解しようとせず、自分にも非があることが認められなかったのだと思います。

母の方からも親子の縁を切ったのだと解釈し、母が家に残していったものの片づけを少しずつ進めています。