毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

2022年の振り返り

今年は私の生活に大きな変化がありました。

ひとつは大学卒業と同時に勤めた職場を退職したこと。

高校時代から漠然となりたいと思っていた仕事について30数年。

しかし、数年前から同じことの繰り返しで経験と知識だけで仕事をこなす日々に疲れていました。正直、燃え尽き症候群といえる状態でした。

母に給料を渡さなくなってからの蓄えと退職金で、なんとか年金貰うまで生活できる目途もたち思い切ってリタイア。

 

これから時間をどう使うかを考えた時、

「普通に結婚生活していたら、年に1度くらいは家族で旅行くらいしたんだろうな」

なんて思ったら、ちょっとせつなくなってきて、これまで興味を持たなかった「観光地への旅行」を体験してみました。

 

何やかやと日々を過ごし、退職から早9カ月、仕事に何の未練もない心境に自分でびっくりしています。

 

もう一つの出来事は、母の引っ越しです。家にあれだけ執着していた人が出ていくとは思いもよりませんでした。

もっとも転居先は姉の新居。お正月を姉や孫に囲まれて、過ごすのだと思います。

結局母は、(都合の)いい子、自慢できる子の間だけ私を必要としたのであって、言葉を換えればずっと自分がよく思われるように利用してきただけだったのでしょう。

 

ともかくも、母が残していったものの片づけが重くのしかかっていましたが、年内にすべて片づけることができ、家から母の気配を消し去ったことで少し心が落ち着きました。

 

来年も諸物価値上がりが続き、これから先が予定通りに暮らしていけるかわかりませんが、母や姉と縁が切れたことを前向きに考えて、心の平安を手に入れる努力を続けていきたいと思います。

 

皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

今年1年つたない文章を読んでくださり、ありがとうございます。