毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

クリスマスが辛くなくなっていることに気づきました

クリスマスのイルミネーションを見るのは好き。商業施設の大きなクリスマスツリーを見るとワクワクして、つい写真を撮ってしまいます。

ソラマチ クリスマスマーケット

でも、クリスマスが近づくといつも、友達とクリスマスパーティーをしたこともなければ、クリスマスデートをした経験もないことがさみしく惨めだと感じていました。

元夫と一緒にクリスマスを過ごしたことがないのをさみしく感じ、一度も誘われなかったし、自分から誘うことを思いつきもしなかったことを後悔しては、辛いと思った感情を追体験していました。

 

それが今年はクリスマスが近づいても全然気にならなりません。

気分が落ち込まないのです。

 

何というか、24日も25日も特別な日ではなく1年の中の1日でしかない感じです。

若い時は、クリスマスになると辛くてさみしかったなあ、そんな風な思い出に昇華された気がします。

これが年を取ったからなのか心が解放されてきたからかはわかりませんが、クリスマスに感じていた感情もひとつの執着だったのかなあ、と思います。

 

昔、毎週のように通っていたお寺で「執着を捨てれば楽になる」というようなことを教えられたけど、やっと意味が分かったかもしれません。

本当になんであんなに辛いと考えていたのかな、と不思議に思うほど気持ちが楽になっていることに気づきました。