毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

元夫の消息

とても久しぶりに夫の名前をググってみました。

1枚だけ新しい写真を見つけました。といっても2年ほど前の記事でしたが。

老けたなあ。それが第一印象。

でも体型は全然変わっていないみたいでした。

 

二人で年を取っていきたかったと思っていたのは、きっと私だけだったのでしょうね。

離婚から30年以上が過ぎた今も私は、大好きな人が同じ家にいるのに姿を見ることも声を聞くこともできなかった日々を毎日思い出しています。

 

彼の幸せのために私ができることは身を引くことだけと思い込み、それでも助けてほしい、話をしてほしいと毎日泣いていました。

多分彼は何も知らないし、知ろうとしなかった。

 

私の苦しみを知れば彼が困ると思いこんでいました。

結婚生活についても離婚についても、一切を私ではなく母と話した人でした。

 

何度母に頼んでも、ただの一度も私に「話し合おう」と言ってはくれませんでした。

だから、私の思いなど全く知らずに、新しい幸せを見つけてほしいと願いました。

 

再就職先も退職して今はどんな暮らしをしているのでしょうか。

自己犠牲という名のバカな自己満足かもしれませんが、彼が幸せな人生を歩いてくれたのだと私は信じています。

元気で暮らしていればいい。笑っていればそれでいいと思います。