毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

自分の人生の主役に母を据えていた

人生の指南書とかカウンセリング関係の本とか、なぜ「自分の人生を自分で決められる」ことを前提に書かれているのだろうと常々不思議に思っていました。

自分で自分の人生を選ぶことができないからこそ苦しんでしまう人は、置き去りにされるしかないのでしょうか。

 

追い詰められた人は、選択の余地がないと思い込んでしまうのです。

自分の人生の主役になれない。それがどれだけいびつなことであるか気づけない、気づいたとしてもその状況を受け入れるしかない、と。

ほとんどの人にとっては当たり前のことなんでしょうが、自分で進む道を決めていいのだと、どんな状況であっても、どんな人にでも、自分で選ぶ権利があるのだという考え自体、何十年もかけて、60直前でようやく私が手に入れることができたことです。

 

親は自分の考えを子どもに押し付ける。子どもの意思を聞こうともしない。

そんな親ほど、子どもが血反吐を吐くほど苦しんでいることには気づきません。

おそらくは、子どもの姿など見ていないからです。自分が希望するイメージを子どもに重ねて、見たいものだけを見ているのではないでしょうか。

 

私の母は、子どもの時私の嫌いなものを勝手に決めていましたが、本当に嫌いなもの、食べられないものは、私が30を過ぎても知りませんでした。

母も姉も、私が自分の気持ちを口にしないことを知っていた。

知っていて知らんふりをして、自分たちの思い通りにしていたと知った時の気持ちをどう表現すればいいかわかりません。

虚しさ、悲しみ、情けなさ…

親に愛されたい、認めてもらいたい。

そんな気持ち、期待を、もっと早くに捨ててしまえば、それだけ早く楽になれたのだと思うだけで落ち込んでしまいます。

 

若いうちに親を捨てても、物理的に離れていれば高齢になった親との和解も可能かもしれません。

「あの女は私を捨てた女だ。もう娘だと思わない」と私に言い放ち、姉のことを非難していた母と10代で母を見切り距離をおいてきた姉。

その二人が今は仲良く?一緒に住んでいます。

 

何でも自分で決めて、好きなことをして生きてきた姉の生き方の方が正解なのかもしれません。