毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母が引っ越した翌日のできごと

母が引っ越した翌日、電話工事のため待機していると、母が姪とやってきました。

工事の日程を教えていなかったのに、なぜ知っているのかと不思議でした。

母が立ち会うため、姪に有休を取らせたそうです。

私を無視して撤去工事を見守る二人。

何のために私はここにいるのだろう、自分たちでやるなら私は必要ないじゃないかと

だんだんイライラしてきました。

 

引っ越ししたはずなのに、リビングにはテーブルがどーんと置かれたまま、

和室はじゅうたんが敷かれたまま。

仏壇はなくなっていましたが、神棚はそのまま。

 

なぜ処分しなかったのかと聞くと

「あんたが必要だと思って」と答えが返ってきました。

残していったものの処分と今後の管理は私に任すと言い置いて、

二人は帰っていきました。

 

引っ越しの時なら、大きな不用品は業者に処分を頼むことができただろうに、

私一人では外に出すこともできません。

神様は祀らなければたたると聞いています。

神様を粗末にするわけにはいかず、神棚をどうするか途方にくれてしまいます。

 

文句を言おうにも、引っ越し先の住所すら聞いていない私にはどうすることもできません。

黙ってこの状態を受け入れるしかないことが、辛くてたまりませんでした。