毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

これを嫌がらせと感じるのは間違いだろうか

母の引っ越し後、日を改めて家の中を見て回りました。

押し入れの中、キッチンやレンジの下などにも物が放置されていました。

 

食器棚には、一緒に暮らしていた時に使ったことのない食器が何枚も残っていました。

洗面所には、タオルや洗面器が置きっぱなし。

トイレは母が使っていた状態そのまま。

なんの片付けもしてありませんでした。

 

私が使っていたと思しきオリーブオイルのビンがキッチン下に置かれているのを見た時には、なんとも言えないくらい情けなく感じました。

6年前、1階に置いてあるものはすべて好きにして構わないと母に言って家を出ましたが、郵便物の整理や換気のため、母がいない時を見計らって月に1,2度家に戻っていました。

しばらくしてから母は、自分にとって不要なものを袋や段ボールに詰め、「順子のもの」とまとめて外に出しました。私は、それを見つけるたび黙って片付けていました。

今になって、6年前のオリーブオイルを残しますか。。。

 

母が残していったものは、じゅうたんだけでなく古くなった工具、錆びた包丁、スプレー缶、モップ…。

そして、テーブルや金庫など一人では持てない重さのもの。神棚、仏画など心理的に処分が難しいものでした。

うがった見方をすれば、仏壇は買い取ってもらえたから処分し、神棚は引き取り代を払わなければならないから放置。

テーブルや金庫も粗大ごみに出すとお金がかかるから置いていった。そして、不燃ごみなど捨てるのが面倒なもの。

そんな風にも感じました。

 

面倒なことはすべて私に押しつける。

そんな母のこれまでの行動の凝縮版をみた気がしました。

どこもかしこもこんな中途半端な状態で放置していった母は何を考えていたのでしょうか。

姉や姪もこんな状態での引っ越しを是としたことが辛くてたまりません。

ようやくゆったりと日々を過ごせるようになり、母を意識の外に置くことができるようになってきたと思っていたのに、この母の行動は、私の精神状態を再度、ボロボロにしました。