素朴な疑問ですが、人生の指南書とかカウンセリング関係の本とか、なぜ「自分の人生を自分で決められる」を前提に書かれているのでしょう。
自分で自分の人生を選ぶことができないからこそ、苦しんでしまう人は置き去りにされるしかないのでしょうか。
今ならよくわかるけれど、追い詰められた人は、選択の余地がないと思い込んでしまうのです。どんなに嫌でも従うしかないと。
NO、というのにどんなに勇気がいるか。
必死で声をあげても、信じてくれる人、わかってくれる人、助けてくれる人なんかフィクションの世界と違ってまずいないでしょ。
自分で進む道を決めていいのだと、どんな状況でも、どんな人にも、選ぶ権利があるのだという考え自体、苦しい、さみしい、つらい思いを何十年もかかえながら、ようやく私が手に入れることができたことです。
親は自分の考えを子どもに押し付ける。
子どもの意思を聞こうともしない。
そんな親ほど、子どもが血反吐を吐いていることには気づきません。
子どもの姿など見ていないからです。
自分が希望するイメージを子どもに重ねて見たいものだけを見ているのではないでしょうか。
私の母は、子どもの時私の嫌いなものを勝手に決めていましたが、本当に嫌いなもの、食べられないものは、私が30を過ぎても知りませんでした。
親に愛されたい、認めてもらいたい。
そんな気持ち、期待を、もっと早くに捨ててしまえば、それだけ早く楽になれたのだと気づいて後悔しかありません。
若いうちに親を捨てても、物理的に離れていれば高齢になった親との和解も可能です。
「あの女は私を捨てた女だ。もう娘だと思わない」
と私に言い放ち、姉のことを批判していた母。
10代で母を見切り距離をおいてきた姉。
その二人が今は仲良く?一緒に住んでいます。
好きなことをして、なんでも思うように自分で選択して生きてきた姉の生き方の方が後悔のない人生なんだろうなと思います。
二人とも私が何も言えないことをいいことに、犠牲を強いてきたことなど認めないけど。
母が引っ越して1年。何の連絡もありません。
家の管理に疲れはて、この夏不動産屋さんに現状のままを条件に丸投げしました。
最近、自分中心にものを考えることに少しずつ慣れてきたように思います。
本で読んだ自分軸というものがようやく理解できるようになってきました。