毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

I love me は普通のこと?

1年前、カマル・ラヴィカントの『死ぬ気で自分を愛しなさい』を読んだあと、

心を立て直すための呪文「私は私を愛している」を唱えようとしても、

心が、この言葉を唱えることを拒否し、どうしても唱えられませんでした。

 

当時の私は、自分を愛しいとか好きとかいう感覚が想像できず、抵抗があったのだと思います。

最近不思議なくらい何の抵抗もなく、呪文を唱えることができるようになりました。

 

私が自分自身を好きかどうかはまだわかりません。

 

退職して、周りの目を気にする必要がなくなって、対人関係という面でのプレッシャーやストレスはなくなりました。

もちろん知り合いや友人との付き合いに気を使ったり、相手の反応を気にしたりはあります。

逆に何日も人と話をしないという、別の意味でのストレスはありますが、

空気を読んだり顔色をうかがったりの生活に比べればストレス度は雲泥の差です。

そんな心の変化がこの呪文への抵抗をなくしたのでしょうか。

 

呪文を繰り返していると、なぜ私はこんなにも長い間自分を卑下し続けていたのか、と疑問に思うようになりました。

 

これからの人生をこの人とともに生きたい、この人の子どもを産みたい。

 

結婚した相手に対し、そう思うことは当然のことなのに、それを、大それた身の程知らずの願いだと思い込んでいたことに疑問を持ち始めています。

彼の態度、母の言葉が私を追い詰めていった。

徹底的に私を否定されて、すべて私が悪いと責められて

私自身も私がすべて悪いと自分を否定し、卑下していったのだと気づきました。

結婚前の私は「私なんか」という自分否定の言葉を口にすることはなかったことを思い出しました。

 

まだ、心の底から自己否定の思いを払拭できたわけではありませんが

自分の思いが間違っていたかもしれないと思うようになったことを

一歩前進と思いたいです。