毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

久しぶりにロマンス小説を手に取りました。

『目覚めの朝に花束を』

主人公のブリーンは、両親の離婚後母親に育てられ、容姿を否定され目立たぬ服装、髪をさえない色に染めることを強いられ、大学での選考や仕事、人生のすべてを母に決められたことに疑問も持たず過ごしています。

 

なんかこの設定を読んだ段階で共感を持ちました。

 

ブリーンは、大学時代からは自分で生活費を稼ぐように言われ、仕事を掛け持ちして生計を立て、卒業後は母の示す通り中学校の教師になり、学生ローンの返済に費やす日々を送っていたある日、母の家の片付けをしていると突然家の中に不思議な風が吹き、カギがかかっているはずの引き出しが開き、自分名義の口座に400万ドルもの大金があることを知ります。

 

父親が送金していたお金と知ったブリーンは、母を問い詰めます。

でも、父親が二人を見捨てたと嘘をついたことも、借金を返すために娘が苦労していたことも娘の人生を決めていたことも、何もかもを正当化し、逆にお金が手に入ったことで、仕事を辞めたブリーンを非難します。

 

この辺のくだりは、親子の会話で書かれているため、なんとなく私は母の主張を思い出してしまいました。

 

私の学生時代に父が死んだ際、これからの生活費は自分で稼げと言った母を思い出しました。奨学金とバイトで生活費を賄っていましたが、何が起こるか怖くてぎりぎりのお金しか使えませんでした。

肉屋で嫌な顔をされながらハムの切れ端を50gだけ買っていたこと。

空腹を紛らわすため、タバコを吸っていたこと。

 

父が万一のためにと生命保険をかけていましたが、そのお金はすべて母のものになっていました。授業料は払ってもらえましたが、そのくらいしかないのだと思い込んでいました。

せめてあの頃、100万円でも貰えていたら、月々の生活費として2万円でも使えると思えていたら、ずいぶん心に余裕があったと思います。

 

就職後、生活費として毎月渡していたお金の半分を自分名義の通帳に入れていたことを知った時の私の反応とブリーンの態度が重なりました。

大きな違いは、周りに助けてくれる人、支えてくれる人がいたかいないか。

学生時代の私は、元夫の存在が心の拠り所でしたけど、結婚してからは母に取りあげられてしまいましたから。

 

第2章では、事由になったブリーンが自分探しと父親探しのため、父親の故郷に旅立ちます。

この後はファンタジー要素が強くなりそうですが、ブリーンがどんなふうに自分を見つけるのか興味深く読もうと思います。