毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

『本好きの下剋上』に見る人間関係の修復の仕方

最近流行りの異世界転生小説の中で、「このライトノベルがすごい」で2年連続1位となった『本好きの下剋上』。タイトルが気にはなっていたのですが、とうとういい年をして手を出してしまいました。

 

主人公のマインちゃんがかわいくて仕方がありません。

歩いていて突然倒れるくらい虚弱体質のマインちゃんが本のない世界で、本を読むために頑張る物語です。次はどうなるのだろうというワクワク、ドキドキが止まらないだけでなく、大笑いできる小説でもあります。読み返してもワクワクできる作品に久しぶりに出会いました。神殿で、グ〇コのポーズをして「神に祈りを」って全員で祈る、作者のこの発想がすごいです。大笑いさせていただきました。

 

2巻に、マインの幼なじみルッツという少年が、就職先を親に認められず家出するエピソードがあります。

家族関係を修復しようと大騒ぎするマインですが、第三者が互いのいいぶんを聞いてお互いに言葉が足らないため互いの思いを誤解していたことがわかり、元の鞘に収まりめでたしめでたし、ルッツは両親と並んで家に帰っていきます。

 

互いの思い込みで生まれる誤解やすれ違いを第三者が理解できるように互いが説明する。現実世界では難しいことだと思います。

大概この第三者となる人は、どちらか一方からまず話を聞いていますから、先に聞いた言葉を信じて、そのフィルターを通してもう一方に接するため中立にならないことが多いのではないでしょうか。

 

私は、母や夫が他人に話したことが間違っていても、それを否定することができませんでした。家族が他人に話したことをその場で否定してはいけないとしつけられていましたから。

それに、幼いころから家族の話を他人にするなと厳しく言われてもいました。

だから私にとって、夫婦の問題を夫以外の人に話すということ自体がとてもハードルが高いことでした。

誰かに相談するという発想すらありませんでした。周りに安心して気持ちを打ち明けられるほど親しい人がいなかっったし、何より夫婦の問題を他人に話すなんて恥ずかしくてできませんでした。私には夫と話し合うこと以外思いつかなかったのです。

 

母に連れられて無理やり話をさせられたことはありましたが、夫婦の問題を親の前で話すことに抵抗があるとはだれも思わないものなのでしょうか。

 

今ならネットで匿名の相談ができたかもしれないなあ、とは思いますが、当時は夫に手紙を書くことすら思いつかなかったのです。それくらい思考が停止していました。

確実なことは、その場に母がいたら絶対に何も言えなかったということだけ。

 

例えば、学校でいじめがおきると、先生が関係者を呼んでいじめがあったか聞いたがいじめの事実はなかった、というような報道を見ますがいじめられている子もそれを目撃した子も、いじめている子が目の前にいたら何も言えなくて当たり前だと思います。

私は虐待されていたわけではないけど、母に支配されていたと思います。

 

ああすればよかった、こういえばよかった。何十年もいろいろなシチュエーションを考えているけれど、その場に母がいたら絶対に口を開けなかっただろうなと感じます。

母に知られたくないことがありすぎたから。言えば叱られる、非難されると思っていたから。

 

母に自覚はないでしょうけれど、こんなに存在自体がプレッシャーになる親とは何なんでしょう。