毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

仕事を辞めた理由

仕事を辞めるということを考え始めたのは、夫だった人が定年を迎えた年でした。

母との関係が最悪になり、仕事でも辛いことが重なり、心身ともにぼろぼろで自己憐憫に浸っていた頃です。

離婚さえしていなければ、早期退職して専業主婦になって夫と一緒に過ごして…

何度も繰り返し考えていました。

実際は、一人でしたし、退職後の生活を考えるととても金銭的に無理でした。

 

母から逃げ出し、心も体もずいぶん楽になった頃からあまり意識しなくなりましたが

目を患ったことで、再度考えるようになりました。

医者から言われた「寿命が先か失明が先か」という言葉が一つのきっかけになりました。

 

金銭的に不安がないわけではありませんが、我が家は短命な家系なので私も90や100まで生きることはないと予想して決めました。

まだ元気なうちに、今からでも経験できることを少しでも経験しようと思います。

時間は元に戻らないし、肉体的に女性として経験するはずの妊娠や出産、子育て、普通の人が当たり前に考えていることはもう無理だけど、人間として経験できることはまだたくさんあるはずだから。

 

母に押さえつけられ、私の判断基準、世界の中心に母を据えていることに疑問も持ちませんでした。

自分で自分を縛っていました。

ようやく私自身を自分の世界の中心に据えることができるようになったのですから失った時間を取り戻すには、時間が足りない。

そんなことを考えて、働いていた時間を自分のために使う決断をしました。

 

先のことは分からないけれど、誰の思惑も考えずに自分のことだけを考えて決断できるようになったことを成長と考えたいです。