毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

明るい未来が見えません

正月早々、こんなこと書いたらあまりに暗くなるので今日まで待ちました。

 

1月1日、目が覚めたら泣いていました。

最悪の年明けです。

 

相変わらず、結婚生活についても離婚話も夫と直接できなかった後悔に囚われています。

せめて一度でいいから二人で、二人だけで話をしたかった。

呪縛の言葉になってきました。

 

考えれば辛いのがよくわかっているのに、無意識に考えてしまう。

今朝も目が覚めてから、当時を思い出して涙が出てきました。

 

一瞬であの頃の気持ちに戻ってしまう。辛ければ考えなければいいのに、思い出さなければいいのに、それができません。

今年も負のスパイラルから脱出できないのでしょうか。