毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

2020年の振り返り

今年は年明け早々、「中国で新しい感染症がはやっているらしい」「春節に中国人が大挙して入国するが大丈夫なのか」というワイドショーの話題にはじまり、旅行客からの感染、ダイヤモンドプリンセス号、中国からの帰国者の感染確認。東京は危険と思っていたら瞬く間に全国に広まり、全国一斉休校、緊急事態宣言。まさに、新型コロナウィルス一色の1年でした。

 

正直、感染者ゼロとか1人とか、何十万人もの県全体で10人も感染者がいないところまで、休校する必要があったとは思えません。給食だけがまともな食事という子どももいるし、給食業者をはじめとしてどれだけの人が被害をこうむるか議論されたのでしょうかね。

 

学校が再開された時には、激太りしている子と激やせしている子がいたとか。虐待やDVが増えたという報道もありました。一緒にいるのが危険な家族もいることがはっきりした1年だったかもしれません。

 

私自身は、緊急事態宣言が出された後も、いつも通りに出勤していました。

生活が変わることはありませんでしたが、予定していた東京行は自主規制。

1年間旅行しなかったのは何十年振りだろうと考えても思い出せないくらいでした。

30歳を過ぎた頃から毎年、母との暮らしに息が詰まると逃げ出していましたから。

1人暮らしをしていなかったら、母と一緒に暮らしていたら、耐えられなかったでしょうね。

 

はじめのうちは「コロナがおさまったらランチしましょう」なんて言っていた人とも、夏頃にはもう連絡も取らなくなりました。

何もすることなく、だらだらと日々を過ごした1年。ステイホームだの家族を守ろう、だのと言われるたび、守る家族も話しかける人もいない孤独を実感していました。

でもそれが私の日常です。

 

しかしコロナを警戒してのことか、母と話をする必要がなく姿を見ることも一度もありませんでした。

そういう意味では精神的にとても楽でした。

 

4時、5時に目が覚めるのは年のせいだと思っていましたが違ったようで、いつの間にかとてもよく眠れるようになっていました。

そういう意味では、精神的に楽で結構気持ちが安定してきたのだと思います。

 

こんな年があったなと思い出になるのか、来年もコロナで日が暮れるのか。

ワクチンができたというから、来年はもう少しポジティブな行動ができるといいなと思います。

 

今年一年、読んでくださってありがとうございます。

みなさま、よいお年を。

来年もよろしくお願いします。