毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

『ど根性ガエルの娘』に思うこと

ど根性ガエルの娘』というマンガを見つけました。

 

昭和40年代に『ど根性ガエル』というマンガがありました。

少年が転んだ拍子にカエルとぶつかり、カエルが少年の来ていたTシャツに住み着いてしまった。画して平面ガエルピョン吉誕生、という荒唐無稽の設定で、少年ヒロシとピョン吉の友情、周囲の人々との交流を涙あり笑いありで描かれたマンガです。

アニメの記憶しかないので、マンガは読んでいないのかもしれません。

 

このタイトルからピョン吉が家族を持ってピョン吉父さんと娘を描いた、最近よくあるヒット作の後日談、スピンオフと思って読み始めたら、ヒットのあとのスランプ状態の父、家庭崩壊の様子を娘の目線で描いた作品でした。

 

印象に残ったエピソードを2つあげます。

 

ひとつは、娘のお金を持ち出した父親を責める娘に対し、夫が盗んだことをわかっていながら娘に向かって、お父さんはそんなことをしていない、疑ったことを土下座して詫びろと強要する母親と深々と頭を下げる娘の姿を描いた場面。

離婚の際、夫の言葉をうのみにし、私の言い分を全く聞きもせず、夫の家族の前で土下座して謝れと言った母の姿が重なりました。

 

もう一つは、腐った総菜を娘に「腐っていない」と言い張り食べさせようとする母と「腐っている」と主張する娘のバトルのエピソード。

「じゃあ、お母さんが食べたら私も食べる」と娘が言う。

一口も食べようとしない母の態度は、腐っていることをわかっていながら娘に食べろと言っていたことを如実に表していました。

 

私は、親の主張に反論し言い争えること、親の態度に言っても無駄と親を切り捨てることができた娘さんが羨ましいと感じました。

やはり、絶対聞いてもらえないとわかっていても、自分の気持ち、意見を言うということは、大事なことなんですね。まず、言葉にしないと誰にも伝わないですから。

言わなくても態度や様子でわかるというのは、幻想なのだとしみじみ思いました。