毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

ずっと子どもだった、とカウンセラーは言いました

せめて一度でいいから、夫と二人だけで話がしたかった。

これが、ずっと引きずっている私の思いであり、後悔。

心の中にずっしり重い澱となってします。

 

新婚旅行から帰ってからは、私に触れようともしなかったし、二人で過ごそうともしない夫の態度に、寂しくて仕方がありませんでした。

二人でどうしたら結婚生活を始められるかを話し合いたかった。

でも、仕事の邪魔をしてはいけないと遠慮して「時間ができたら声をかけてください」というのがやっとでした。

 

夢に思い描いていた結婚生活とのあまりの違いに、戸惑い、どうしたらいいのかわからなくて、あれこれやっては母に叱られ、夫を取り上げられたように感じて、毎日のように泣いていました。

 

「どうしてお母さんとはお出かけするのに、私とは一緒に過ごしてくれないの」

言いたくて、何度も飲み込んだ言葉。

もし、あの頃聞いたところで、夫が応えてくれたと今はもう思えませんけれど。

 

「私は、何か気に障ることをしましたか」

「私に何か怒ってますか」

「したいことがあったら言ってくださいね」

 

私の言葉を彼はどう受け止めていたのだろう。

一度も答えが返ってこなかったのは、それほどに怒っていたからでしょうか。

 

新婚旅行の不満を母に話していたと聞いたのは、最後に母と言い争った時のことでした。

母には話せても私には一言も言わなかったのは、なぜなのでしょうか。

 

「邪魔だから起きてくるなってお母さんに言われたから、明日から一緒に起きられない」

「夜、寝室で音を立てるとうるさくて寝られないって。物音立てるなってお母さんに怒られた」

 

夫の都合なんか考えないで、世間話でもする感じで、素直に話しかければよかったんだな、と今なら思えます。

当時は、母から言われたことを夫に話すことを言ってはいけない、悪いことのように思っていました。

 

隣に寝ている妻に何か月も触れようともしない夫に、恋愛スキルがほとんどない私ができたことは話す機会を作る努力をすることだけでした。

私には何も言わない。聞かない。二人きりで過ごすことがない。

結局、私の努力は空回りをしただけで、夫に全く届きませんでした。

 

彼の話し相手は母。相談相手は兄。

妻として扱われたこともない。彼にとって私は何だったんでしょう。

 

sexがしたかったら、したいと言ってくれさえすれば、嫌というはずがないのに。

嫌な人と何年も付き合うはずがないし、ましてや結婚などするはずがないのに。

 

そんな当たり前のことすら信じてもらえなかったのだと、今更気づいてしまいました。自分の言動がおかしかったこと、誤解されていることがわからないほど心が病んでいた当時を、母と離れ自分自身を見つめられるようになってようやくわかりました。

 

そんな私を、カウンセラーは「子どもだなあ、と思って聞いてました」と言いました。

反抗期も思春期も押さえつけられていた私は、今ようやく思春期を迎えたそうです。