毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

人生で一番高い買い物、それは家

40歳を過ぎた頃、初めて自分のために生きてみたいと思いました。

母から離れないと何も始められないことが分かっていた私は、まず一人で暮らす場所を探し始めました。

 

なかなか気に入った物件が見つからなかったある日、家に帰ると条件ピッタリの場所を母が提示してきました。

「どうする?」と聞く母の顔には、「この土地を買って家を建てる」とはっきり書いてありました。

 

「この家を建てれば、私はもう絶対に母から逃げることはできない」

私が絶望するの中、父が建てた家を売ったお金と私の借金で購入すると決め、話はとんとん拍子に進みました。

 

新居に引っ越した日、母は私に言いました。

「これでもう、どこへ行ってもいい」と。

一千万以上の借金を背負って、どこへ行けるというのでしょうか。

それでも借金返済のため母への給料ほぼ全額渡しをやめられたことが救いでした。

母が私が渡していたお金を毎月自分の口座に貯金していたことも発覚しましたし。

 

人生で一番高い買い物は家だけど、一番出費したのは母にですね。