毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母とは物理的に離れるしかありません

カウンセリングもはや4回。

 

母の言動を話すたび、カウンセラーさんは首を振りときどき「こわい、こわい」と言います。「よく我慢しましたね」と繰り返します。

今回、先生は、「お母さんとは、物理的に距離をおくしかありません」と言い切りました。

 

今でも他人が関わってきたとき、自分をアピールできる機会には、私を娘として扱います。今でも私を支配しているつもりでいるのだと思います。

やむを得ないことで家に呼ばれても、私はその場で第三者しか見ません。第三者としか話しません。

母がいないように振舞い、母の声は聞こえないふりをします。

他人の目には奇異に映っていたでしょうし、親を無視するひどい娘に見えるでしょう。

 

でも、私が平常心でいるためには、母に関わることをすべてシャットアウトするしかありません。

話題に出るだけでも、心がザワザワし過剰な拒絶反応を人に見せてしまいます。

そうして、母の存在を意識するたび心臓がバクバクします。自然に汗が出てきます。

 

カウンセラーさんの「物理的に距離をおきなさい」を言う言葉は、私の行動が間違っていなかったとお墨付きをもらった気がします。

母と仲良くしろ、と明に、暗に私を責める周りの人に「母と離れなければ、私が生きていく方法がなかったのだ」と言い返すことができそうな気がしました。