毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

カマル・ラヴィカントの『死ぬ気で自分を愛しなさい』を実践してみました

この本は、一緒に暮らしていた愛する人に去られて、絶望の淵に落ちた作者が、

自分を見つめ立ち直った経験を書いた本です。

たくさんある人生訓の本の中で、誰でも実践できるやり方と筆者の語り掛ける口調に引き込まれました。

 

1,2,3,4 大きく息を吸って「私は私を愛している」とつぶやいて、

5,6,7,8,9,10 息を吐き、心の中のものを吐き出しなさい、と書いてあります。

 

私は、「私は私を愛している」とは言えませんでした。

ゆっくり息を吸いながら、私は私を愛していたことがあるのだろうかと考えます。

大きく息と一緒に嫌な気分を吐き出します。

何度も繰り返すうち、自分を大切に扱ったことすらなかったことに気づきました。

 

瞑想、鏡のワーク、クエスチョンと4ステップが紹介されています。

エスチョンというのは、「大事な人にこの経験をさせるか」と自分自身に問うこと。

 

私は少し前、体調が悪かったのですがぎりぎりまで医者に行きませんでした。

もし、自分に子どもや大事な人がいたら、ちょっと悪くなった時にすぐ医者に連れていくだろうな、と思いながら我慢していました。

わたし、自分を大切にしていないんだな。

 

そんなことを考えていたら、なぜ私が幸せを感じることができないのかわかりました。

私が自分の人生の主役になれなかったのは当たり前でした。

私の人生の主体は母で、母を軸にずっと過ごしていたのだから、主役どころかわき役にすらなれるはずはありませんでした。

 

そういうことをはっきりと自覚し、自分の言葉で考えられるようになれた気がします。

筆者自身が絶望の下にまだ無気力という自分だけではどうしようもない状態があることを体験しているからでしょうか。

それとも、トレーニングを続けながらも、怠けたり落ち込んだり失敗したり、そういうことまで開けっ広げに書いてあるからでしょうか。

「わらにもすがりたい」

そんな風に思い詰めている人へのメッセージを詰め込んだ本、と感じました。

もしよろしければ、一度読んでみてください。