毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

もし今の私が結婚当時に戻れたら 検証その2

母に寝室で立てる音をすべて聞かれているとわかった後で、夫と夫婦生活ができたか。

答え 100%無理。

 

母の存在を意識するだけで、今でも私は委縮してしまいます。

心も体も解放することができない状態で、夫婦の営みなどできるはずがありません。

経験のない当時の私にわかるはずもないことですが。

 

新婚旅行の初日にうまく関係を持つことができなかったときに、「ごめんなさい」と初めてそういうことをするのが怖いと素直な気持ちを言うべきだったと今ならわかります。

でもあの時の私は、恐怖で声など出せる状態ではありませんでした。

恐怖から逃れられたことにほっとし、夫の気持ちを考えるゆとりなどありませんでした。

 

今の私だったら、翌日に「こっち来て」とか夫に甘えて、少しずつ距離を縮めて

「よかった。今日は怖くない」ってぎゅ~と抱きついて、何が嫌だったのか話すことができたと思います。

そうしたら彼は分かってくれたと私は信じています。

新婚旅行できちんと夫婦になれたでしょう。

 

ただ、それでも母との暮らしの中で、私は夫のそばにいられなかったのではないかと思います。

 

朝は、夫が出かけるまで起きてくるのを許されなかったし、二人でいれば追い払われたし。休みの日は必ず母がどこそこへ行きたいと言い出したし。

でも、夫は私の事情を聞いてくれたんじゃないかと思います。

 

家で、夫婦生活を送れなくても、二人で結婚生活を過ごす工夫ができたのではないかと夢見てしまいます。