毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母の頭の中では、「私が夫を嫌っていた」とのストーリーが作られていた

いとこが出張で来た際の会話から、母が私の結婚生活について伯母(いとこの母)にとんでもない嘘、でたらめを話していたことを知りました。

いとこからその話を聞かされた日、一晩泣き明かしました。

何を聞かされたかを書けるまでにも、相当時間が必要でした。

 

要約すると、母が周りに言いふらした私たち夫婦の離婚理由は、「私が夫を嫌っていること」だそうです。

 

母のストーリーでは、私は男性恐怖症で夫に指を触れられるのも嫌だとか。

母は夫が可哀そうで仕方がない。休みの日も私が夫と一緒にいるのを嫌がっているから、母が夫につきあっていることになっていました。

 

いとこは、母が伯母に「娘がそんなに嫌がっているなら別れさせた方がいいか」と相談しているのを横で聞いていたんですって。

 

私は、ある日突然「今日から豊さんには自分の部屋で寝てもらうからお前は寝室で寝ろ。豊さんにはもう話したから」と母に言い渡されたんですけど、母の頭の中では、私が夫婦の寝室を別にしたことになっていたらしいです。

夫が一緒にしたいと頼んでもダメだったって、いとこは聞いていたそうです。

 

私は、夫が寝室に戻ってくるのをずっと待っていたけど。

毎晩、なぜ寝室を別にすることまで母に命じられなければならないのかと泣いていました。

でも、寝室を別にしてから夫と話をする機会はありませんでしたから、私の気持ちを夫が知ることはありませんでした。

夫は、いつ誰に寝室のことを頼んだんでしょう。母が勝手にNOと言ったのではないのかしら。

 

結婚最初の休みの日、ようやく二人で過ごせると思っていた私の目の前で、「〇〇に連れて行ってほしい」と夫を誘っていたのは母でした。

その後も休みごとに私に声をかけることもなく、いつの間にか二人で出かけ、そのことに気付くたび、私はさみしさで泣いていましたけど。

 

「朝は邪魔だから起きてくるな」

「夜はうるさいと寝られないから寝室で物音を立てるな」

 

母が私に命令したことなど、伯母には当然一言も言っていないようでした。

私を心配している顔をして、不仲の状況を次々作りながらもそれに気づかず、自分の都合のいい話を言いふらしていたことは、なんとなくわかっていましたがこんなにひどいとは思っていませんでした。

 

妻と娘を同時にできないことに3人で暮らし始めるまで気付かなかった私は、結婚生活をどうやって始めればいいかわからず混乱していました。

母に叱られないことで頭がいっぱいでしたから、夫の目には夫を避けているようにしか見えなかったとは思います。

それでも彼は、一度も私自身に確かめることもなく、母の言葉だけを信じたのかと思うと悲しみが体中から湧き上がってきます。

母はどれだけの毒を夫に吹き込んでいたのでしょう。

 

母が周りに言いふらしていたことを知るたびに、母の面倒をみるために自分の夢も人生も棒に振った自分がどんなにバカだったのかと悔しくて情けなくてやるせなくなります。

 

いとこの話を聞いた日から、3日ほど泣き明かしました。

いとこは私の話を聞いて、「夫に伝えてやればよかった。ごめんね。」と言ってくれました。

当時は母の言葉を頭から信じていて、私と話そうなどとは全く思いつかなかったとも言っていました。

 

毎日話しかけても夫が答えてくれなかった理由は私が妻の務めを果たせなかったことだと思うけど、「何か気に入らないことある?」「私に怒ってる?」と聞いても何も言わなかった夫。

新婚初夜に、怖くてパニックを起こして、「いや」と言ってしまったあの瞬間、私は見限られていたのかもしれません。

あの一言で私は自分の将来を捨ててしまったことを改めて思いしりました。

 

だけど、処女が初めての経験を怖がることがそんなに悪いことなのですか。

結婚初夜に怯える妻を夫がリードするのを期待してはいけなかったのでしょうか。

私には今でもわかりません。

書きながらまた、大泣きしてしまいました。立ち直れる日は、まだまだ遠いようです。