毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

サグラダファミリア展で心に残ったこと

ガウディの名前を知ったのは、着工から100年経っても完成しないサグラダファミリアという教会があることを知った時でした。

完成まで300年はかかると言われていたけれど、ITの発達で完成がいっきに早まり、2026年完成予定と話題になっていました。

 

完成していないけど、公開していて観光客が押し寄せているってどういうこと?

教会の写真は、前方と後方で全然建て方が違っていて、塔がすごく目立つやけに派手派手しいものでした。

 

完成目前になって、こういう展覧会をやるのは資金集めだろうな、コロナで観光客も減っただろうし、などと思いつつ、どんな展覧会なのか興味が湧きました。

 

前売り券を買った時には、「日時指定なし」だったのに、会期途中で日時指定を導入し、開館時間も延長したことからすごい人なんだろうと覚悟していきましたが、予想以上でした。

それでも展示品の前でそう待つこともなく見ることができたのは、美術品と違って展示品の前に張り付いている人が少なかったことと大きい展示品が多かったからでしょうか。

 

一番印象に残ったのは、ガウディの死に関すること。

交通事故とは知っていたのですが、なんとつまずいて電車にひかれたそうです。

しかも病院に運ぼうとしたらタクシー3台拒否されたと書かれていました。

もし、救急車があったら助かっていたのでしょうか。

 

市が大規模の葬儀を希望するも、遺族の希望で質素な葬儀になったと書かれていました。

葬列のあとをバルセロナの市民がずっとついていく写真が、いかにガウディが愛されていたかを語っていました。

怪我をしたガウディを病院に運ぶことを拒否した運転手たちは、どんな思いで葬儀の報道を聞いていたのでしょう。

もしかしたら、この葬列に参加していたかもしれない、などと想像してしまうほど物悲しくも感動する写真でした。

 

30前に「私の葬式は誰が出してくれるのだろう」と毎晩のように泣いていた私は、今はもう誰も葬式をだしてくれないことを受け入れてしまった。

その分、人々に慕われたことを如実に表すこの写真に心惹かるものがありました。