毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母の新居を見てきました

関東に住むいとこから「出張で近くまで来た」と連絡があり、久しぶりに一緒にランチを取りました。

近況などとりとめのない話をしているうちに、話題は母のことに。

いとこは、母(いとこにとっては叔母)も大事な身内ですから、私の葛藤を聞いた後も母を気にかけていました。

 

食事のあと、いとこの希望で母の新居を探しに行くことになりました。

正直に言えば、互いに縁を切ったのだから、母がどこにどんな風に住んでいようと、知りたくはなかったのですが、いとこにとっては母も姉も大事な身内。

新居がどんなものか気になったようです。

いとこに教えられた住所をカーナビに登録し、いざ出発。

 

新しく開発された土地らしく、新築の家ばかりが並ぶ場所をうろうろ。

しばらく走って、ようやく姪のものらしき車を見つけました。

家の前には車4台分の駐車スペースがあり、玄関には足元に明り取りをつけたおしゃれなたたずまいでした。

私が母に建てさせられた家の倍の広さはありそうです。

 

いとこには言いませんでしたが、そこは大通りを挟んだ少し先に元夫の家がある場所でした。

近くの商業施設などで、母か姉が元夫と偶然会うようなことはないのだろうか。

万一にも出会ったら、母も姉も自分たちの解釈で都合のいいように、私を非難することになるのだろうかと考えてしまいました。

母が彼の家を知るはずはなく、単なる偶然でしょうがなんとも複雑な心境です。

 

知らなければ、心は平安だったのに家の外観が頭から離れません。

私のことも気遣ってほしかったと、ちょっとだけいとこを恨みました。