毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

立つ鳥跡を濁さずということわざを母に送りたい

気分が少し落ちつくまで、2,3日かかりました。

母の行動に落ち込んでいてはダメと自分を𠮟咤激励し、不用品を処分する準備を整えて再度、家に入りました。

 

電気契約をすでに解除しているので、エアコンもかけられず、掃除はすべて手作業。

暗く暑い部屋で、燃えるゴミに出せるようい草カーペットをちまちま切っていると、

い草がぼろぼろ落ちてきました。

カビ臭さに息を止めての作業です。

じゅうたんは、大型ごみ用のこぎりを使っても歯が立たない!

こののこぎり、障子紙さえ切れませんでした(泣)

 

分別したごみはごみ袋4個分。

まだ処分すべきものは、残っていますが一旦ギブアップ。

水回りをふさぐなどやらなければいけないことはまだいっぱい残っています。

 

部屋に戻り速攻でシャワーを浴びましたが、なんとなくカビのにおいが染みついている気がしました。

疲れました。

悲しいことに、私の背中はシップだらけ。

 

一休みしていると、「立つ鳥跡を濁さず」という言葉が頭に浮かびました。

「子どもに迷惑をかけたくない」と終活をする親が多い中、面倒なことはすべて私に丸投げ。それを母だけでなく姉も姪も当然と考えていることが辛くて仕方がありませんでした。

死んだ後の遺品整理ならまだしも、不用品放置の引っ越しなんて想像もしていませんでした。このしうちは、母の面倒を見るのを放棄した私への罰なのかと感じました。

情けなくて涙が止まりませんでした。