親ガチャ。
子は親を選べないことをガチャガチャでカプセルを選べないことにたとえた言葉らしいです。
誰が考え付いたのか知りませんが、初めて聞いた時には、言い得て妙だと思いました。
ガチャガチャを回してカプセルを得るという行動からみると、回しているのは親の方に感じますけど、親は子に環境や躾、教育などで子の育て方を選べますからね。
「親ガチャ、外れた」「あたりだった」みたいに使うらしいです。
だけど、ガチャガチャから出てくるカプセルにほんとははずれなんかないはずなんですよね。中身がからのカプセルは出てこないのですから。
カプセルの中身が好きか嫌いか。欲しかったものかそうでないか、なのではないでしょうか。
カプセルを詰める人は、購入したくなるものを作っているのですから。
でも、「自分の欲しいもの、求めているものと違った」
そういうことですよね。
親ガチャの「はずれ」は、経済的にゆとりがあるか否かが判断されているみたいだけど。
親ガチャという表現も、親が自分にとって得か否かで判断されている気がします。
でも、そんな理由だったら「甘え」でしかないと思います。
親への不満を口にできる分、愛され甘やかされて育てられたのではないでしょうか。
毒親に育てられたら不満を口にすることも、親を非難することもできません。口答えすることは悪いこと、何をされても「自分が悪いからなんだ」と思い込まされて育ちますから。
何冊も毒親関連の本を読みましたが、どの人もはじめは変だと感じたとしても言えば言っただけ攻撃されるから、そのうち何も言えなくなってしまう。言われたことを否定しないことで身を守ることを覚えていく。程度の差こそあれ、毒親育ちのパターンだと思います。
自分の親が外れだと、親への不満を口にできる。それこそが、親が子を健全に育てた証だと思います。