毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

除夜の鐘が聞けなくなったのも少子化が原因かもしれない

私が子どもだった昭和のことですが、紅白が終わって布団に入ると、ゴーン、ゴーンとどこからか鐘の音が聞こえてきておりました。数を数えながら寝入ったものです。

 

高校生の時に引っ越した家は、前の家より少しだけ港が近くなり周囲にお寺はありませんでした。

晦日、真夜中に聞こえてきたのはボー、ボーという汽笛。何隻もの船が呼応するように汽笛を鳴らしていました。汽笛が海での除夜の鐘だと知ったあとは、なんとなくロマンティックな感じがしました。

 

今住んでいるところの近くには、お寺がいくつもありますが除夜の鐘を突くお寺はないようです。

静まり返った真夜中に響く除夜の鐘の音って風情があって好きだったのですが、ここでは鐘の音が聞こえないことに去年(今年?)ようやく気付きました。

 

お寺が除夜の鐘を突くのをやめた理由は二つあるそうです。

ひとつは、突き手がいなくなったこと。もう一つは、地域の人々から騒音として苦情が入るようになったことらしいです。

 

1年に1度、たった108回の鐘の音に我慢ができないくらい静寂を求める人にどんな事情があるのか、私には想像できません。ただ、とても静かな地域に住んでいて、お寺が身近な存在ではないから除夜の鐘を耳障りに感じるのだろうなと思います。

 

昔は、葬式や大人数が集まると言えばお寺で、境内は子供の遊び場でした。

今、観光や墓参り以外でお寺に行く人はどれだけいるのでしょうか。

 

お寺と地域の人の関係が良好なら、苦情など入らないでしょうし、もしそういうことを言う人がいても、地域の人がお寺の味方になるのではないかと思います。

突き手も住職が高齢とかで大変なら、地域の人にしてもらえばいいと思います。

希望者募集、108名限定。子どもにとってはいい思い出になると思いますけどね。

子供向けに日曜講座やっているお寺も最近は見かけません。

 

子供が少なくなり、塾とか習い事とかで忙しくなり、町内の子供が集わなくなったことも、お寺と地域が疎遠になった一因かもしれないと考えると、除夜の鐘を突くお寺が減ったのも少子化が遠因かなと思ってしまいます。