毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

オリンピックもお盆も終わり、やっと日常が戻ってきた

オリンピックもお盆休みも終わって、やっと日常生活に戻れてきた気がします。

毎年のことだけれど、お盆の時期は精神状態が不安定になってしまいます。

 

根っこにあるのは、義父の新盆にも呼ばれず、墓参りすら拒否され、母の実家の墓参りでは、ずっと母と一緒にいた当時の夫の言動と、その時自分がどんな思いをしたかを思い出すから。毎年、寂しく辛く惨めだった気持ちを追体験してしまいます。

家族の行事の時期は、どうしても自分の周りには人がいないことを、いつも以上に意識するからだとはわかっているのです。

それでも、テレビではお盆の帰省を報道し、街に出れば家族連れの姿がどうしても目について、いつもでたってもうまく対処できません。

いつも以上に自己卑下して、外出するのも億劫になってしまいます。

 

特に今年のお盆は長くてしんどかった。

3連休でお盆休みのスタートが早くなって、土日まで続いて18日までつながっていた気がします。

 

15日にいとこが墓参りに帰省して、一緒に出掛けて、ようやく少し気分が落ち着いていきました。

今年は少し離れたところに住んでいる親戚の家にも行ってきました。

小学生の頃は、毎年電車に乗って墓参りして、ご馳走食べて帰っていたことは覚えています。

でも、私の記憶にあるのは当時おばあさんだった人と赤ちゃんだけ。

50数年ぶりの、よくわからない母方の親戚宅への訪問でした。

 

80過ぎの夫婦で片方は足が悪くて歩けない。もう一人は軽度の認知症。それでも二人寄り添って暮らしていて、家に残った息子が面倒を見ているそう。

老後の暮らしで、一番キツイパターンのダブルを実際に見て、自分がどちらかになった場合は誰からも助けは得られないから、そうなった時にどうするかをしっかり考えておかなければ、と改めて感じました。

 

翌日実家の墓参りのあと、母の家を見に行かないかと言われましたが断固拒否!

去年母と姉の家を見た後、何日も心臓がバクバクしてしんどかったことを告げると、すんなり行くのをやめてくれて助かりました。

いとこにしてみれば、母は叔母でいちばん近しく血のつながりのある人で。

たまには会いたいだろうけど、私と一緒では無理!なことは分かってくれたみたいでした。

 

いとこが帰って、また数日家にこもって『本好きの下剋上』を読みふけって過ごし。

週が変わって世間が日常に戻り、私もいつもの行動に戻ることができました。

いつまで続く、この負のパターン。

でも毎年少しづつでも楽になってる。だって泣く回数は無茶苦茶減りましたから。