毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

Happy Birthdayと言ったことさえない関係でした

15日は元夫の誕生日でした。

毎年、「二人でお祝いしよう」と言った際に「お母さんは?」とやんわり拒否されたことを思い出します。

 

学生時代は遠距離恋愛でしたから、5月に会うことなど考え付きませんでした。

私は、彼に誕生日プレゼントを贈ったことがない。

結婚して、祝おうと思った時には二人で過ごすことを拒否されて、プレゼントを渡すことさえ迷惑なのではないかと思うと用意することができませんでした。

 

「お誕生日おめでとう」と言ったことも言われたこともないのだと改めて考えると、

「お前たち、本当につきあっていたのか?」と言ったいとこの言葉を思い出しました。

 

本当に4年間、私は彼と付き合っていたのでしょうか。

誕生日さえ祝いあえない関係ってなんかおかしい。

気づくのが遅すぎますね。