毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

本の文字が消える、歪む 黄斑変性症発症したっぽい

とうとう左目も黄斑変性症になったみたいです。

右目が黄斑変性症と診断される前と同じ状態が左目に起きています。

 

先週あたりから本を読んでいるときにカタカナが1文字分消えていて、言葉に違和感を思えて再度その部分を見ると、さっき見えなかった文字が見えるということがしばしば起こりました。たとえば、クラスと書いてあるのにラスしか見えなかったりコロンビアがロンビアだったり。初読では意味不明なわけでした。

 

最初はカタカナだけが消えていたのに、ひらがなも消えるようになって。

漢字も時々消えたり全体的につぶれて見えたりするようになりました。

ほんの少し視線をずらせば読めるけど、疲れるし集中力が必要だしで、嫌な感じが続いていました。

 

徐々に、道の石畳の線、エスカレーターの溝、家のフローリングの線、まっすぐのはずの線はほぼ歪んで波打ってるか途中が半円に膨らむかへこむかして見えます。

今パソコン画面を左目だけでじっと見つめると、やっぱりまっすぐのはずの線が妙に歪んで見える部分があります。これは間違いなく黄斑変性症の症状。

 

大慌てで医者に行ったら、右目は悪くなっているけど左目は異常なしと言われてしまいました。

こんなに変な見え方しているのに、異状ないわけないでしょう!と言いたいけどいえない。。。

結局、経過観察することになってそのまま帰宅しました。

 

左目が右目と同じ状態になったら、本が読めなくなるだけじゃない。

間違いなく日常生活に支障が出ます。

 

帰りに右目だけで周りを見てみたら、景色は問題なく見えるのに信号機が何色になっているかは、もやがかかって判別できませんでした。

両目がこの状態になったら私の生活はどうなるのだろう。

 

まずはなんとかまだ本が読めるうちに、本棚いっぱいの読んでいない本、読み直す本を1冊でも多く読んでしまいたい。

健康のためと、外に出て歩くことを優先し読書時間を取らなかったことを後悔しました。

あと何年、自由に動けるのだろう。あと何年こうやってブログをかけるのだろう。

日常生活ができないほどものが見えなくなったら、と考えると視力を失うことへの恐怖心が膨らんできます。

 

やりたいこと、やらなくてはならないこと。

イムリミットはそう遠くないのだと思わなくてはならないみたいです。

覚悟を決めて、字が見えなくても生活できる環境作りたいと思います。

まずは、画面の大きなテレビを買いに行ってきます。