毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

白眼に注射を打ちました

私はよほど運に見放されるか、不運を呼び込む体質なのでしょうか。

母のおなかの中に幸運をすべて置いてきたのではないことは、はっきりしているのに。

だって、高校生の時からずっと思い続けることができる人に出合えたのですもの。

自分で幸運を捨てる、または取り上げられても文句が言えない人生を選ばざるを得なかったけど。

こんな病気になったのも、自分が悪いとあきらめざるを得ないことなのです。

 

しばらく前から、目の調子が悪くて、本を読むのもパソコンに向かうのも辛かったのです。

パソコンを開くと、目がグルグル回るような感じで気持ちが悪くなりそうでした。

本を読めば、ゴシック体のようなかっちりした文字なのに、一部だけイタリック体に見えたり、テレビで人の顔がアップになった際、片方の目でははっきり見えるのに、もう片方の目では、顔の輪郭ははっきりしているのに、目や口が分からず真ん中がグレーに見えたり。

 

真っ直ぐの線は途中でとがって見えるし。ものがゆがんで見えました。

エクセルの線も階段もこんな感じです。  _____/\____

 

加齢黄斑変性、というらしいです。

長年、目を酷使した結果、網膜が薄くなって新生血管ができたため、ものが見えにくくなるのだとか。ストレスが一因らしいです。

あとは、長時間の読書、タバコもよくないとか。

子どもの時にいっぱい太陽の日差しを浴びなくてはいけなかったらしいです。

普通は、7,80代で発症するらしく、私のような現役世代は珍しいみたいです。

 

で、治療法はずばり、目に直接注射するでした。

注射前は消毒のための目薬を差し、手術室に入ってからも何度も目を洗ってからいよいよ注射。

太陽を直接見ろと言われているような強い光がまぶしくて仕方がありませんでした。

注射自体は、あっという間に終わってしばらく休んだ後、帰宅。

ほかの患者さんたちは、家族が迎えにきて、一緒に車で帰っていく中、私はバスに乗って帰りました。

 

1週間もしないうちに、目がずいぶんと回復したのが分かります。

階段は今もとがっていますけれど、パソコンも本も普通に見れる状態に戻りました。

これからも様子を見ながら、ずっと注射を打ち続けなくてはならないそうです。

「寿命が先か失明が先か」

お医者さんからそう言われました。

 

定年退職後に読みたい本をいっぱい用意していて、行きたいところもいろいろ考えていたのに、期限を切られた気分です。

これまでずっと、母を主体に暮らしてきました。

一人になって、ようやく自分を中心に据えることができてきました。

セカンドライフくらいは自由に生きていきたいと思っていたのに、それも難しくなったのかもしれません。

逆に、これからの時間を自分のためにだけ使いたいと思いました。