毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

私が考える家族という存在は、世間一般のイメージからかけ離れているのか

ローゼマインにとっての家族は、大事な居場所であり、何があっても守るべきもの。

残念ながら、彼女の「家族とは、悲しかったり寂しかったりする時に寄り添ってくれる存在」という感覚が私には全く分かりません。

ただ、そんな風に信じられる存在があることを羨ましく感じます。

 

家族って辛かったり苦しかったりするときに、傷口に塩を塗ってくる存在じゃないの?

弱みを見せたらここぞとばかりに、これまでのことを持ち出して非難したり、

自分勝手な要求を突き付けたりしてくる存在。

それが私にとっての家族。

 

勇気を出して自分の気持ちを言ったところで、聞き入れてもらえたことなどなく、

スルーされるか攻撃される。

何も言えない、言っても無駄の状態を作っておきながら、

後日、勇気を出して話をすれば、「なんでその時言わなかった」と攻め立てる。

攻撃されないためには、自分の気持ちを封印するしかありませんでした。

家族の一員として暮らしていくためにはそうしなければいけないと思い込んでいました。

 

10倍返しで攻撃されるのわかっていて、それでも言い返せるほどメンタルの強い人はどれだけいるのでしょう。

自分がずっとできなかったことだからこそ、ローゼマインのように自分のやりたいことを頑張って貫こうとする女性に惹かれます。