毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

大学受験は父と行きました

ン十年前の大学受験、父は会社を休んで私についてきてくれました。京都では下見に行ったバスの中、見知らぬ大学生が席を変わってくれ「あなたなら大丈夫よ」と励ましてくれました。あんな素敵な女性になれたらいいな、受かるといいな、と思いながらバスに揺られていました。

京都から名古屋に移動する途中、合格祈願に伊勢神宮に参拝。

赤福を食べよう」という父に、甘いものが苦手だった私は「いらない」とすげなく言い、赤い床几に一人で座り赤福を食べていた父の姿を外から所在無げに見ていました。

荷物を両手に持ち私の受験に付き合ってくれた父。荷物を自分で持つことなど思いつきもしないで父に頼り切った受験旅行でした。父のおかげで大学に行く道すら気にする必要がなく、私の意識は試験に集中することができました。

この旅行が父と二人で出かけた最初で最後の旅行になりました。私の大事な思い出です。