毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

一度は行きたかった明治村、でもきっと二度目はない

明治村に行ってきました

名古屋には何度も行く機会があったのですが、名古屋駅から片道約1時間、廻るのに5~6時間はかかるとの情報に行きたいと思いながらも躊躇していた明治村

ようやく行くことができました。

犬山駅からバスに乗って、しばらくするとバスはどんどん山の中に入って行きます。

25分後明治村到着。

 

 

正門から奥に1丁目から5丁目まで。効率よく見学するためまずは村営バスで5丁目へ。

マップ片手に見たい建物を探して歩きましたが、広い広い。

そして、迷路のようにわかりにくい。自分がいる場所を建物番号で確認してもどっちに行けばいいのか何度も迷いました。

 

村内では謎解きイベントを開催していたらしく、わいわい言いながら答えを探していました。小学生や高校生のグループもあちこちで見かけました。

たまたま呼び込みに出くわして、呉服屋の建物ガイドに参加しました。

受付で偶然貰った呉服屋のカード

舞台の下に続く奈落の通路

桟敷席が斜めに作ってあるとか升席などの解説のあと、奈落の底まで案内してもらえて、すごくいい体験でした。夏は暑く冬はとても寒かったそうです。

 

金沢監獄中央看守所で撮った写真

こちらは金沢監獄中央看守所。写真に撮るとそのすごさが実際に見た以上に現れたように思います。

実際に移転されたのは、六角形だったか八角形に監房が伸びているうちの1棟だけ。

それをこんな風に廊下で繋がっていました、と説明する写真が壁に貼ってあったんです。この写真は、その写真を撮ったもので、実は床(木の部分)だけが本物。

はじめに建物の中に入って、ぐるりと回りを見回した際は、本当に監房が奥にあるのだと思いました。二度見して写真と気づき、その発想に感心いたしました。

私の下手な写真で、そのすごさが伝わるといいのですが。

この2か所は、明治村に行ったら必見と言いたいです。

 

1区画を1時間かけて回り、途中昼食を取り、5時間後予定通り1丁目まで全区画を巡ってきました。

正門に辿り着いた時には、一気に疲れが出た感じでもう一歩も歩きたくないと思いました。明治村の中だけで2万歩近く歩いたと思います。

 

疲れたけど、行けてとてもよかったです。

失われつつある明治時代の建築物を保存することを考え、実行した建築家谷口吉郎さんと名古屋鉄道元会長の土川元夫さんに感謝。

二人は四高同窓生だそうで、結局こういう人のつながりが偉業に繋がるんですね。