毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

父の命日に思うこと

もうすぐ父の命日です。

父は50回目の誕生日を迎えてほんの数日しか生きられませんでした。

年末に緊急入院した時は、まだしっかりしていたのに、年明け大学に戻る前に父を見舞った時は、精神錯乱を起こしていて何を言っているのか私には理解できませんでした。

 

2月、後期試験を終えすぐに帰省し、父のもとへ行きました。

ひと月余りで父の姿は変り果てまともに見るのが怖いほどでした。

死がまじかに近づいていることがはっきりわかる姿に恐怖心を抱きつつ、父の耳元で「お父さん、順子だよ。帰ってきたよ」とかけた言葉は、はっきり父に届いていたと信じています。

なぜなら、その晩から父は意識不明になり、そのまま息を引き取ったから。

私が返るのを待っていてくれたのだと、今も信じています。

私が戻ってきたことに安心して、戦うのをやめたのだと思うのです。

 

私は、父の年齢をとうに越え、あと少しで定年を迎える年齢になりました。

両親の娘のまま、妻にも、母にもなれずに、おひとりさまの老後に突入です。

 

毎日誰とも口を聞かない日が来ることに怖れを抱きつつも、読書三昧の日々を過ごせることに期待し、引きこもり生活を満喫しようとの思いと、時間の制限を考えずにいろいろなところに行ってみよう、これまでできなかったことをしてみたいという思いが交差しています。

 

結婚生活を送れていたら、きっと年に一度くらいはどこかに出かけていただろうと思うと、本当に私は何も経験してこなかったのだなと、しみじみ考えてしまいます。

離婚で人生を捨ててしまった私ですが、少しは楽しいと感じられる日々を過ごしていけたらいいな思います。