毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

お正月と言ったって

新年あけましておめでとうございます。

 

と言ったって、私がこの言葉を口にするのは多分、4日に出勤してから。

家族を捨てた私にとって正月なんかもうずっと関係ない。

 

父が死んだあと母はおせち料理を作ることもなく雑煮が唯一、正月らしい食事だった。

親戚も来ない。姉夫婦も来ない。

正月らしさを感じたのは、年賀状とテレビ番組くらいだった。

 

離婚すること、夫が家を出ていくことが決まった後のお正月、私は母に急き立てられてお寺の元日供養に立ち会うため、早々に家を出た。

帰ってきたとき夫は家にいなかった。実家に戻っていたのかと思っていたが後から母にサウナに行っていたと聞いた。

結婚したら二人で初めて迎えるお正月は、おせち料理を作って着物を着て初詣に行って…

そんな夢を持っていた。

 

結婚して子供を産んで、育てて、一生彼のそばにいたいと思っていたのに何一つかなわなかった。いや、自分で夢をあきらめてしまったことを今年もかみしめています。

 

昭和に生まれ昭和を生きていた時は、大正時代、明治時代に生まれた人がすごく年上に見えた。

平成になっても元号が変わったとしか思っていなかった。年齢を感じ始めたのは、平成生まれの小学生、中学生を目にするようになってから。

新しい元号で生まれる子どもたちには、昭和生まれがどんなふうに見えるのかな。