毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

【父の日】に父を思い出してみた

父は家族のかなめでした。

家のことは何もかも父が決めていたけれど、みんなが安心して暮らしていたと思います。

父が単身赴任で家にいなくなり、家族はばらばらになりました。

 

父が赴任先から戻ってからは、父の誕生日と父の日は我が家のイベントになりました。

姉とふたり、競って父にプレゼントを渡しました。

 

ちなみに、母のは40歳を境に誕生日を祝うな、と宣言したためスルーでした。