毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

母のメイ言(20代編)

父の葬儀の日、家に帰って母がつぶやいた言葉。

「やっぱり病院で出会った人はダメね」

「(父の棺に泣きながら取りすがる伯母の姿を見て)伯母に負けたと思った。血の方が強いわ。」というのが母の感想です。

 

新婚旅行から帰って出勤1日目に夫を見送った後、

「邪魔だから、起きてくるな」と母に言われました。

翌日から私はベッドの中で夫を見送り、朝の夫の世話はすべて母がやりました。

 

夫が部屋で初めてちょっと私に触れようとしたことがあって、その翌朝母に

「昨日の夜、いったい何をしていたの。うるさくて眠れなかった」

と叱られました。恥ずかしくて逃げ出しました。

物音を立てていたのなんてものの5分もなかったと思うんですけどね。

この母の言葉はものすごいプレッシャーになりました。寝室の物音が全部母に聞こえているということが分かったのも嫌だったし、寝室で物音をたてたら母に怒られる、音を立ててはいけないと思い込んでしまいました。その後私は夫が寝入るまでベッドに入ることができなくなりました。

 

なんかいっぱいありすぎて思い出すのも嫌になってきた。

普通の親はこんなこと言わないって思っていいですよね。