毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

旅で人生観が変わるって本当だったんだな

去年、漠然と夢に抱いていた旅行を実行した時は、終始元夫のことを思っていた。

「二人で来られたら、どんなに楽しかっただろう」どこへ行っても何を見てもその思いが付きまとった。たまたま、ツアーで一緒になった新婚さんの様子を見て、これが正しい新婚旅行なのかと常に寄り添う二人の姿を羨ましく見ていた。

 

今年もなんとなく旅に出かけてみた。一人で暮らすようになり、出かけることに何の制約もなくなったから。いつでもどこへでも行ける。

本当はこれまでの生活でも制約なんかなかったのかもしれない。

「私が少し長く家を空けると、母の具合が悪くなるから3日以上家を空けてはいけない」と自分で自分を縛っていただけだったのかも。

ただ、自分の存在価値を自分で信じていたかっただけかもしれない。

 

今回の旅で一番驚いたこと。それは行く先々での体験を楽しんだこと。

離婚して初めて、旅先で元夫が横にいる姿を想像しなかったこと。

 

一人暮らしを始めてもうすぐ2年が経つ。

まだ時々、パニックを起こして胸が苦しくなることはあるけれど、涙があふれてくることはあるけれど。

それはたった一度しかない人生で、話すべきことを言えず、母のことを信用し優先しすぎたことへの後悔からくるもの。母の言葉を信じ、人生で手に入れた一番の宝物を自ら手放した辛さを思い出してのもの。

いいかげんに過去に生きるのをやめなくてはいけないと、頭では分かっているのだけれど、心は現実を見るよりも、つらい日々を思い出すことを望んでいるみたいだ。