毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

親がまともでないと気づくのが遅すぎた

昨日は元夫の65回目の誕生日。

家族でお祝いをしたのかしら。

 

毎年5月15日が近づくと結婚していた時の誕生日のことを思います。

二人で出かけて祝おうと誘ったけれど、やんわりと夫に断られたこと。

母が私には全く教えず、豪華な食事で夫の誕生日を祝ったこと。

それを夫がとても喜んでいたと、母が私に自慢したこと。

 

婿養子に来た人をもてなすのは当然のことで、優しい母だと思う人もいるかもしれないけど、特別なことをするのにそれを娘に一言も話さないのはどうなんでしょうか。

自分だけがよく思われたいとの思っての行動ではないでしょうか。

結果として、母のポイントは上がり、何もしない私はまた株を下げた。

 

新婚1日目に、朝、夫の世話を母がやりたいがために「邪魔だから起きてくるな」と言い放った時から、いえ何も言い返せず私がそれに従った時からでしょうか。

夫の私に対する評価は下降する一方で、母への感謝と評価だけがあがる構図ができていたことに当時は気づきもしませんでした。

結婚した娘の評価を上げるのに協力するのが母親ではないかと思うのですが、違うのかしら。

 

母の友人は婚家に娘を良く見せるため、毎週、娘を婚家の手伝いに行かせ、自分が娘の家を掃除しに行くと聞きました。

 

私の母は、私の株を落とすことはたくさんしました。夫から私への不満を聞いて、それをそのまま(?)私に伝えることは何度もしましたが、一度も私をかばう発言はしていません。してたら恩着せがましく私に言うはずですから。

それどころか事情も確認せずに私を非難し続けました。

 

母に親の愛情を求め続けた私がばかでした。

まともな親ではないと気づくのが本当に遅すぎました。

今更どうしようもないのですが、つい、母と一緒に暮らしていなければ、まともな夫婦生活が送れたと後悔してしまいます。