毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

思ってるだけで、何もしないんじゃな、愛してないのと同じなんだよby寅さん

去年は「男はつらいよ 50周年」とかで、映画が作られたり関連本が何冊も出版されたりしていました。

その中で、たまたま手に取った本に書かれていた言葉が上の言葉です。

心にずんと響きました。

 

学生時代の私の信条は、「行動してから後悔する」だったのに、いつから自分の思いと言動が一致しなくなったのだろうと考えてみると、子どもの時からずっとでした。

 

自分の気持ちを素直に出すことができない子ども、相手が望むと思ったことを自分が望んでいるかのように、言ったりやったり。

いい子であることを自分に課していたのです。

 

私はいつも、周り(特に母と祖母の目)を気にして、思うだけで行動できなかったり話せなかったり。

そんなことを繰り返してきました。

〇〇をしたい、〇〇がほしい。

家族の顔色をうかがって、タイミングを見計らって何とか言えたこともあるけれど、

そもそも聞かれてもいないのに、そういうことを言うことすら思いつかなかった。

 

 

「いい子」って誰かにとって「都合のいい子」でしかないと気づくまでにずいぶん時間がかかりました。

いい子でいればその時は褒められても、それで得をするのはその誰かさんだけです。

周りの人が一瞬、ほめてくれるだけで、自分の得になったことはなかったように思います。

 

もし、成人に達していない人がこれを読んでくれたなら、声を大にして言いたい。

自分の気持ちを素直に言葉にできないとしたら、それは異常なことなんだと。

怒られても無視されても自分の心を偽る必要なんかないんだと。