毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

カウンセラーに会ってみた

昨年のことですが、友人に誘われて初めて、カウンセラーに会ってみました。

 

ゆっくりカウンセリングを受けた訳ではないのですが、私の第一印象を情熱的で包み込むような優しさを持っていると言っていただきました。私に愛される人はみんな幸せになれるんですって。思わず涙があふれました。

 

それは、ずっと私が理想とした姿かもしれません。

 

もしかしたら、夫が私を守ってくれていたらそんな女性になれたかもしれません。

今の私には、人にやさしくする余裕なんてありません。心にゆとりがなければ、優しさなんて出せません。

どんなに相手を気遣っても、受け止めてもらえなければむなしいだけ。優しさの泉なんて枯れてしまいます。

 

誰からも相手にされないと日々思い知らされながら生きていくのはきついものです。

だから、私に時々でも声をかけてくれる友人に感謝です。

 

自分が卑屈だとわかっています。でも、今の私は、自分に価値を見出せない。長所があるとは思えません。

私が輝いていられたのは、誰かが私を愛してくれていた時だけだっただから。

他人の基準で自分を判断すべきではないと頭ではわかっていても、私はいつも月のように太陽の輝きを受けてようやく輝ける人間なのです。

 

家族も、結婚した相手ですら、本当の私を見てくれなかったことをしみじみ考えさせられてしまいました。

 

この歳になって、カウンセリングを受けたところで何が変わるのかもよくわからなかったし、今後カウンセリングを受けるかどうかはわかりません。

ただ、離婚前にこういう人に話を聞いてもらえていれば、自分の精神状態がおかしいことに私自身が気づけたのかなとは思いました。