毒母育ちの私が家族のしがらみを棄てたあと

母に結婚生活を奪われても、文句ひとつ言わず母の面倒を見ることが自分に課せられた生まれてきた意味、と信じ人生すべてあきらめて生きてきました。自分の人生、自分のために生きてよかったのだと気づいてからの日々を綴っています。

父に言いたいこと

幼いころからずっと、「私が我慢すれば争いは起こらない」と信じていました。

 

きっかけは、私が祖母に文句を言ったこと。怒った祖母が「お前の育て方が悪い」と母をなじり、私は母をかばい祖母をもっと怒らせた。

「私を思うなら、おばあちゃんに逆らわないで」と泣きながら私に言った母の姿が今でも忘れられません。

 

聞かれない限り家族に対し、自分の気持ちを言葉にすることを我慢することが正しいことだと思い込んで生きてきました。

家族に対しては、言いたいこと、自分がやりたいこと、やりたくないこと、不満に思うこと、何一つ言えず、自分で勝手に枠を決め、怒られないように、非難されないようにひっそりとその中で泳いでいたように思います。

 

家族の顔色をうかがって話したり、行動したりしていた。いっぱい我慢もしていたけれど、父が私の気持ちやそのときどきの言動の事情を聴いてくれていたから、私を愛してくれていること、何があっても守ってくれることを信じていられたから、自分を見失わずにすんでいたのかもしれません。

 

父が生きた年月を超えた今でも、私は父の子どもに生まれてよかったと思います。

 

父がいなくなって、誰も本当の私を見てくれていないことに私は気づかず、ただ、母の要求に答えることが正しいことと思い込んでいました。

どんなに意に染まなくても「私が我慢すればいいことだ」と。

でも、娘に犠牲を強いていることに全く気付かない親ってどうなんでしょうか。

 

ねえ、お父さん。

「お父さんの人生でたった一つ失敗したのは母と結婚したことだったね」と言ったら怒りますか?